丹生山巧 [にうやまたくみ・niuyamatakumi] (1782~
画家・動物写真家。
マレー半島、現在のジョホールバル付近にあった漁村で誕生。父は華僑の家系、母親は長崎出身の日本人。
1821年に日本に渡る。以後、活動の拠点を日本に置き活動している。
1.写真家としての丹生山
丹生山は1839年にダゲレオタイプ写真機が発明される以前から独自の写真技術を有していた。日本上陸後、総天然色写真を世界で初めて成功した。(江戸・於玉ヶ池の風景)しかし、彼の作品群は1855年(安政2年)の江戸地震による火災によって全て焼失してしまい、丹生山が独自に発明したカラープリント技術は永久に失われた。以後、デジタルカメラが普及する時代まで彼は写真家としての活動を休止している。
2.画家としての丹生山
江戸末期から第二次世界大戦終結頃まで丹生山は画家として活動している。
この活動期に世界各国を廻り、希少な野生動植物の姿を描写した。
彼の作品の集大成「古今万国花鳥図解」は1978年にグヌンパダンで出版された。
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